深沢七郎と赤軍派話もしてる

Panta rhei:万物流転 パンタ対談集 Panta 1991.1 出版者:れんが書房新社

人に提供した詞・曲のリストを見ると、ビートたけし「BE COOL」は
曲だけだから、まだ解る(?)が、堀ちえみ「幼な馴染み」は、
詞・曲共にパンタ作なのに驚く。
年表には、作品名と共に、その当時どんなバイク(や車)に
乗っていたか、も紹介。橋本治との対談が興味深い。
橋本「昔の歌をCDとして出し直すとしたら、昔のまんま出して、
   こういう時代もあったよ、とやるよりも、今でもコレは
  生きているって形で出した方がいいよ。
   今にすることでインパクトが無くなっちゃったとしたら、
   それは今にする仕方の失敗であってさ。(略)
  過去のものじゃなくて、絶対に今のものだ、ってことを俺が
   身体を張って証明してるんだって出し方をしないと、
  若い奴だって聞かないし、受け止められないと思うよ。
   15年、20年早過ぎたかもしれないということを、そういう形で
  アピールできるわけでしょ。だって基本的にパンタ変わってないんだからさ」
パンタ「うん、全然変わってないね。(略)ただ音色とかはあるからね」
橋本「そう『この表現昔のもんだよな』と思えば、今の若い人が
  身構えちゃうし、『これ、昔の音だよな』っていう逃げ方しちゃう。
  たとえ今の自分にビーンとくるものでも、明らかに
  20年前の録音の音だったりするとさ、これは昔のもんだから、って
  今自分が感じてしまったことを、感じないということにして
  逃げちゃうんだよ。でもコレが今だったらどうするんだろう、という
   形で出せばサシで向き合わざるを得ない」
    (略)
橋本「歌詞が分かるっていうことが、今ないんだよね。
  歌詞カードなしで、歌声だけで歌っていることが分かる程度のものでも
  まだいい方。そうじゃなくて、歌詞に寄りかかろうとしているにも
  関わらず、歌唱力がなくて・・・っていう歌ばかりだから、
  『あぁ雰囲気はありますね』ってことになる。でも
   それは歌としてサシで聴いているんじゃない」
パンタ「天安門とかチェルノブイリとか、そのへんの歌、歌わないんですかと
    訊かれるわけ。いや、そのへんは向こうのミュージシャンとか、例えば
   白竜が光州事件について歌うのはリアリティあるけど、俺の場合は
   『マラッカ』で世界地図を俯瞰で見るのが関の山で、本来
   時間というものを俯瞰した時、あんなのは今に始まったことじゃ
   ないでしょ、中国史を紐解けば。チェルノブイリだってそう」
橋本「だから昔の歌を今歌うんでもさ、事件の外側なんて20年、30年前から
  ずっと決まっててさ、その事件を題材にして歌っちゃう場合、問題は
  中身にあるんでさ。それで言うと、今の題材を追っかけるのは
  いいけど、中身がワンパターンになっちゃってるわけ。中身というのは、
  結局深さとか質の問題でしょ。
  どうってことなく見える詞が、歌われ、インパクト生むじゃない」