星川啓慈・石川明人の

『人はなぜ平和を祈りながら
戦うのか?』(並木書房)を読んだ。
人間が、平和を求めながら武力を
行使する愚かさ、哀れさ、痛々しさ
が溢れている。愛や慈悲を訴える
宗教が戦争やテロの原因になり、
従軍兵士を慰め、兵役拒否のバック
ボーンになり、そして平和運動
原動力にもなる。
https://twitter.com/bowwowolf/status/475663691828842496

石川は、第2次世界大戦中の
キリスト教教団の戦争協力を
こう分析する。《キリスト教は、
教義それ自体は決して西洋独自の
ものではなく、普遍的な内容を持つ
ものです。しかし、日本における
キリスト教の発展は、実際には、
英米の関与が非常に強いものでした。
https://twitter.com/bowwowolf/status/475665251388497920

そうした事実と、またキリスト教
@そのものに対する無理解や偏見も
あいまって、「キリスト教
日本の国体に相容れない宗教だ」
と見なされ、そこでキリスト
教徒たちはそうした誤解を解く
ために、ことさら当時の軍国主義
迎合するような態度をとる人が
多く出てきてしまったのだとも
考えられます》
https://twitter.com/bowwowolf/status/475665574391857152

あるいはこんな事例もある。
《明治・大正・昭和を通して、
全国の神社や寺では
「徴兵逃れ祈願」が流行しました。
憲兵隊が厳しく取り締まったので、
大正・昭和ではあくまでも
ひそかに行われていましたが、
そうした祈禱を求める人は
多かったようです
https://twitter.com/bowwowolf/status/475666541002780674

《一九一六年には、関東と関西で、
五円から二〇〇円の謝礼を得て
徴兵逃れ祈禱をしていた神官
約二〇〇人が摘発され、山陰地方の
ある僧侶は、二〇銭から一円までの
祈禱料で、合計一千数百人の徴兵
逃れ祈禱をしていたといいます》
そして祈禱虚しく徴兵されると、
今度はそれが「武運長久祈禱」
になるのだ。
https://twitter.com/bowwowolf/status/475667134274473985