引用

自己肯定する根拠が何もないんでしょう。
ないって所でしか、自己肯定できないと言うか。

遠藤みちろうが「バターになりたい」にて、泉谷しげるとの
対談で、サラリーマンについて語り合ってる時のセリフ。

泉谷:自分なんて、どんどん失えばいいんだ。(略)受験生だって
親のテーマの為に受験しなきゃならないっていう所で付き合って
あげてるんんだよ。マスのかき方も覚えちゃってヤベぇとか、(略)色んな
欲望があるわけだ。それを今日は勉強したよ、なんて付き合ってる。
(略)そうやって、いつも1個のテーマで押し切るから問題が出てくるんだよ。(略)
遠藤:いいとか悪いとかいう発送自体、とっても保守的でしょう。
結局色分けしかできないと言うか。

泉谷が、表現者全般について語っていたのは

「自分のやった事は、全部カッコイイものだと思ってしまう
瞬間があるんだ。(略)ところが、自分の意識では、非常に最先端だと
思っていても、ソレと全くかかわりない所から見た場合、えらく幼稚に
見えてしまう。そういう危険性が凄くあるわけだ。だから
自信を持てる力があるなら、もっと疑えないかって気がするんだよ」

言われるまでもない話なんだが、netが普及した現在、より響いてくる言葉だ。
 日本の外交に触れた際には、

「向こうのインテリ(若しくはインテリぶりたい人)は、
三島をどう思うか?なんて言ってくるが、知るか!」と
庶民には、三島由紀夫の美意識が根付いてないのに、語り合っても、
それはコミュニケーションではない

と思わせる事を言っていた。
「知るか」と言ってても、泉谷が三島を知らない、のではない事を示す、
金閣寺について、一言解説も添えながら。
ISBN:4947599103
このロッキング・オンから1984年に出た本で対談してる相手は、
泉谷以外では、吉本隆明蜷川幸雄、川崎徹。

神がかりになるのは、空間なんです。
空間が神がかりになって、その神がかりを自分が創造することが
できなかったら、それほど可能性はないと思う。
だから自分が神になるんじゃなくて、神を創造できなきゃいけない。
一番見たいのは、その演奏する側がいて、聴く側がいて、それで
できる神としての空間が壊れる時、それを突き抜けた時に、
何が出てくるのか?ってコトです。

蜷川幸雄らしい弁だ。
hatenaでは、遠藤みちろう ではなく
遠藤ミチロウ で登録されてたのね。
Amazonでは、この本は「みちろう」表記だから、これでもイイか......。
この本の締めは、対談形式でなく、渋谷陽一のインタビューに応えていた。