サブカルという

「括り」の意味がほとんど消失
どころか、むしろそれで
括りたがることが浅薄という
風潮なのは、自分が薄く広くしか
知識がない分野にも
しっかりと文脈や歴史観があって
それに詳しい趣味人が死ぬほどいる
ことがネット・SNS
すぐわかるようになったからだよ。
https://twitter.com/ryokikuzaki/status/375153525501620224

そうなるともう括ったり
俯瞰したり分類したりしてる
場合じゃないって気づくんだ
けど、それなのに
「いまのサブカルはこうなって
しまった、終わった」と
分析分類したがる人が
いちばん「まだサブカルやってる」
という逆転現象なんだね。
https://twitter.com/ryokikuzaki/status/375153668795817985

ほんの少しでも自分の趣味趣向と
ズレる分野や集まりの会話を垣間
見るだけで、音楽でも文学でも
まったく知らない人名や作品が
ドカドカと話題にのぼるってのに、
サブカルなんてぼんやりした概念で
そこを一気通貫できるわきゃないのよ。
https://twitter.com/ryokikuzaki/status/375153938627964928

だから肯定的にサブカルという
言葉を使うのも、サブカル
浅薄だと批判するのも
やってることはほとんど同じなんだよ。
https://twitter.com/ryokikuzaki/status/375156281205477376

Instagramに夕陽の写真ばかり
あげる女がどうのこうの」
みたいに他人をオモチャにしてんの
をみかけると、「そういう
ダサい遊びをいつまでやってんだ。
化石か」と思うんだよな。
夕陽みて写真撮ってるほうが
楽しいに決まってんじゃん
https://twitter.com/ryokikuzaki/status/375190842324963328