ウッチャンと演劇

内村さんは確かに「コント」
の名手ではあるのですが、
浅草の伝統を継ぐ「軽演劇」のひと
ではありません。どちらかと言うと
「戦後現代演劇」の系譜を継ぐ
ひとです。
https://twitter.com/ohmitakaharu/status/407182927512887296

ウッチャンナンチャンのやるなら
やらねば!」には演劇界の名優が数
多く出演していました。たとえば、
名古屋章は新劇において喜劇を演じ
られる俳優でした(井上ひさし
『雨』にて芸術祭演劇部門大賞を
受賞)。不破万作氏は唐十郎氏の
状況劇場で活躍。
https://twitter.com/ohmitakaharu/status/407184299926884352

石原良純氏はのちに北区つかこうへい
劇団で活躍する演劇人となりました。
こうして俯瞰してみると、名古屋章
(新劇)、不破万作(アングラ演劇)、
石原良純(ポスト・アングラ演劇)と、
その重要な役回りを演劇人に期待して
番組を製作していたのです(それを
実現したフジテレビも偉いです)。
https://twitter.com/ohmitakaharu/status/407185537263337472

そして、多くの視聴者にとっても
意外かと思われるのは、
内村プロデュース」も、極めて
内村さんの演劇好みが出た番組だったことです。
https://twitter.com/ohmitakaharu/status/407185927329423360

内村プロデュース」の番組としての
骨格が定まったのは、内村さんが
サングラスを掛ける前後だったと
思われます(それまではふかわさん
へのイジりのみがメインでした)。
https://twitter.com/ohmitakaharu/status/407186182859014144

あのサングラスと無茶ぶりというのは、
戯画化された――そしてご本人も
そのように演じていた――つか
こうへいさんのパロディなのです。
和田誠さんのイラストでは常に
サングラスを掛けていた劇作家
「つかこうへい」のパロディを
内村さんは「ごっこ遊び」として
興じていたと思われます。
https://twitter.com/ohmitakaharu/status/407186752491622401

つかさんの『長嶋茂雄殺人事件』や
『つかへい腹黒日記』で、自ら戯画化
したつかさんを内村さんは
ごっこ遊び」で演じていたと思われ
ます。なにせそのころのつかさんは
演技がなっていないと難癖をつけて
「ショック死しろ!」と叫ぶ、むちゃ
くちゃな演出家だったわけですから。
https://twitter.com/ohmitakaharu/status/407187403665731584