千代は

地侍若宮氏の娘説があるらしい。巧名が辻は
恋愛、という言葉が日本でできたのは明治以降なのに
夫婦愛を全面に出しているのは変な感じだな、とか
寧ろ顔も見たこともない相手に嫁ぎ、家計を支えるに至った心象は
どんなモンか、を描いて欲しいなどと思っていたら
新聞のエッセー(一般から文章を募っている)に、こんなのが。

(二昔前の話)女手一つでバリバリ働いていたせいか、母はキツイ
性格になり、あんな母とやっていけそうな女性はいるんだろうか?と
心配しているウチに、私の見合いはうまくいかず、ソレに業を煮やした母が
「お前は嫁を選べるような顔か。今度決めなかったら、お母ちゃんが
思い切ったことをしてやるからな」と言うので、慌てて嫁を決め、
結婚式当日は、花嫁を誰かと間違えないか、冷や冷やした。
それから何十年。
「よく俺に決めてくれたものだ。何で嫁に来てくれたのか」と尋ねると
「見合いすることになって、釣書の紙を上に投げたら
写真が上になって床に着地したから、もぅコレでええわ、と決めた」との返事。

・・・文章が正確じゃないのは勿論、凄い誤読しているかもしれません。
が、これを目にし、改めて
美談として語られる夫婦愛より、こういう巷の
身も蓋もないけど、何とかどうにかなったよ、な話をドラマにして欲しい、と思った。
↑のエッセーは、でき過ぎっぽくて本マか?とも思うけど
昔、結婚相手を選べなかった人たちは、妥協や我慢という発想だけで
結婚していた、とは思いがたい。
熟年離婚がメディアで取り上げられる度、お互いがお互いの立場で
「もっと感謝されるべきだったのに、されなかった」を秤に掛けているような
物言いがなされているように感じ、建設的じゃないと思ってしまう。
どっちかがどっちかに協力的だったから、うまくいったわ、じゃなくて
どないかしたら、どないかなったわ〜な生活感ある話を聞きたい。