メゾン・ド・ヒミコ

ゲイ映画だと思って見ると「これはないだろう」(演出がおかしい、など)
な部分が気になるが
「赦す、とは何か?」をメインにした映画だと思うと、良かった。
ゲイの老人ホームが舞台だから、ゲイ映画でない、と思うのは
少し苦しいけど。
ゲイをキーワード(?)にしたかったんじゃなくって、実は
バリバリのヘテロ老人達(と、その予備軍)に向けた映画
だったんじゃないだろうか?
「俺の稼いだ金で、年金払ってない嫁が楽している。
嫁はもっと俺に感謝すべきなのに、していない。
こんな嫁と結婚するんじゃなかった、と今更思っても仕方ないから、
ソレに関して、特別鑑みたくないけどな」な爺さんや、
「結婚する以外の方法は無かった。当たり前のように
『俺が食わせてやってきた』な顔をされると、どうしようもない
徒労感に襲われるので、そんなセリフが出ないように、なるべく
コトを運んでいるけど。これだけ生きてきても、この人にとっては
『俺が食わせてやってきた』が最大の決め言葉なんだな、と思うと、
その貧困さにも物悲しさを感じる」な婆さん達に
「別の人生を想像したいのかい?」と問いかける映画だったのかな。
そう捉えると、「ゲイ=女装って単純過ぎ!」なんじゃなくて
NHKしか映らないような田舎の老人にも、投げかける為には
こういう表現も致し方なかったように感じる。そうだとしたら
へテロな老人ホームの映画の映画だと、観に来る層が
製作側にとっての「観て欲しい層」とかぶらないから、ゲイの老人ホームに
したんじゃないか?と思えてくる。
オダギリジョーが語る
ミクシのゲイONLYの方のコミュニティでは、やはり酷評されているな・・・。
観た人に
「こうだ」とメッセージを押し付けないように
演出している、と観ることもできれば
「雰囲気、という便利なモノを使い、上っ面を撫でているだけなのに、
観客に『投影』という形をとらせるコトで、責任を丸投げしている」と観る
こともできる。